理科授業方法とその得失
理科授業方法は13種類のテスト・アンケートの結果から見て大きく2つに分
類してよいというのが、実証的研究(文献は5章にあり)の結果である。 思弁にもとづく授業分
類は板倉聖宜氏の諸著書にあるものを除けば無意味に近いであろう。 板倉氏は理科
授業で第一義的な問題が唯物論の認識論にそって教えるかどうかという事であると
したが、氏の主張は実測で支持される。観念論は誤りだからその認識論にそった授業
では生徒が実験からストレートにル-ルを発見するというわけには行かず後記のような
強引な授業運営が必然として生じるのだ。
理科授業は2つのタイプに分類される
理科授業の2つのタイプとは次のようなものである。
A. この実験をしたら「…という理由により左が下がる」「…という理由で右が
下がる」という「仮説プラス現象予測」まで大多数生徒を導き、それから実験
をするという授業である。 この場合、実験結果によりどの理由(仮説)が正し
いか生徒が自力で決め法則と看做すので、教師が実験結果をまとめ説明して法
則を引き出すという作業がなく、実験をしたら授業終了である。
B 実験前の予想(仮説)がないか、ある場合でも「…の理由で右がさがる」「…
の理由で左が下がる」といった現象予測を大衆的に行うという段階まで行かず、
実験をした直後に生徒大多数が自力で法則理解という事がない授業である。
教師による実験結果解釈、または生徒討論を交えての実験結果解釈をし、法則
を引き出すという作業が必要になる。 そのとき生徒知識の範囲では論理的に見て実験
解釈が複数ある事が少なくないが、教壇から1つの解釈を押しつける。
大多数教師の授業はこのタイプである。
実測の結果をみると、生徒に面白いと評価されているのはAタイプの授業であ
るが、教師による解釈押し付けが原理的に存在せず、生徒が自力で法則を発見す
る面白さがあるからであろう。 知る限り授業中生徒私語はほとんどゼロになり、
授業中の生徒弾圧がほとんど無用になる。 また単純記憶のテストやパズル的
「考える問題」の正答率と比較して「実験結果を説明する仮説考案」「2つの仮説
のどちらが正しいかの実験を考える」などの科学的思考テストの正答率が高い。
生徒集団の地域差があり、また私立校の生徒層はさまざまであり、一般的にテスト評価は「aテストの成績のわりにb
テストの成績が良い」という形にしなければならない。
また後記のように中間的授業が存在し結果も中間になっている。
Aタイプの授業として典型的なものは以下の3種類しかあり得ないであろう。
1. 仮説実験授業
2. 玉田式授業
3. 中原式授業
仮説実験授業については創始者の板倉氏諸著書をはじめ極めて多数の書物があ
るので説明を省略し、他の2授業法を仮説実験授業と比較しながら説明・定式化
する。
玉田式授業の心理学的構造と有用性
玉田式授業とは科教協の代表的名教師の一人だった玉田泰太郎氏の授業と同じ
心理学的構造の授業であり、前記論文では氏の当時の勤務校名からN授業として
いる。 はじめて見ると「一見普通の授業形式だが極めて整然としていていつの
まにか法則を全生徒にキチンとわからせてしまう名人芸の授業」という印象を受
ける。 授業構造を心理学の立場から見ると
1. 実験についての予想・・ 仮説実験授業では、「右が下がる」「左が下がる」といった
現象予測の選択肢を最初に示すが、玉田氏は示さないから生徒発言の内容は
仮説実験授業の場合より抽象的であったり範囲がひろがったりする。 ここ
までは大多数教師の授業(Bタイプ)と形式的には同一。
2. 討論・・ 大多数教師の授業と異なり、教師が討論を仮説プラス現象予測つ
まり「…という考えなら右下がり」「…という考えなら左下がり」というところ
まで導く。 (みちびかなければBタイプの授業になる)
3. 実験
どの考え(仮説)が正しいかは「実験結果についての教師のまとめや討論結果」
でなく、実験の終わった瞬間定まる事になる。
一見すると仮説実験授業とはまったく違った授業で、形式的に見れば普通の教
師の行うBタイプの授業に似て見えるが、以上のように心理学的にみた授業構造
は仮説実験授業と酷似している。 つまり玉田氏式授業も唯物論に忠実な授業で
あるため授業運営に強引さがなく、強引さのない教師指導の授業運営が極めて整然と
した授業という印象を与えると考えられる。
13種類のテスト・アンケート結果も仮説実験授業の場合と酷似しはっきりした
差が見当たらない。
仮説実験授業は形式的分類をすればプログラム授業の一種であるから教師活動
が高度に統制されているのに対し玉田式授業では教師活動の範囲が大変広い。
大多数教師の授業(Bタイプ)と異なり、全生徒がどれかの仮説に加担し実
験結果が右下がりか左下がりか予想するところまで生徒討論を誘導するから実験
直前段階では仮説実験授業と同じくどれが正しい
かの対決実験が行われる事になる。。
だから仮説実験授業との違いは「生徒発言の広い内容に応じた誘導が必要」「誘
導が仮説考案・現象予測の2段階混在で複雑」という事であろう。
仮説実験授業では現象予測がはじめから提示されているから、教師の作業段階は仮説を
考えさせるだけであるし、Bタイプの授業では仮説がないか仮説があってもそれにもと
づく大衆的な現象予測がないから生徒発言・討論は事実上1段階である。
だから生徒弾圧常習者でなければ誰でもできる仮説実験授業と異なり、議長・
司会者としての能力と教材構造に詳しい(生徒発言から生徒誤仮説・誤解釈の理由
をすぐ察知して即座に対策考案可能)という能力を要求され、一部実力派教師でな
いと採用困難で普及に限界があるというのが欠点であろう。
玉田式授業を仮説実験授業と比較した場合の長所は、教材に多少の欠陥があっ
ても授業結果があまり変わらないという点であろう。 教師の予想しなかった生
徒発言が続いても多少の時間が無駄というだけで討論を法則理解に必要な内容に誘導できる
からである。 仮説実験授業では予想外の生徒発言が続いたら仮説実験授業にな
らず、法則押し付け授業に切り替えざるを得ない。 だから仮説実験授業の教
材(授業書)を作成する際は生徒の考え方、生徒誤仮説・誤解釈をすべて予想する
能力が要求され、作成は極めて困難な作業となり授業方法発案者の板倉聖宜
氏をはじめとする少数有力メンバーしか作成に成功していないように思われる。
授業書作成者は多いのだが、基本的法則を教えるような授業書の作成者は少ない。
仮説実験授業と玉田式授業の結果に大差がない以上、次の
ように考えてよかろう。 玉田式授業を採用できるだけの能力所有者ならば、玉
田式授業ができるようになったほうが良い。 新教材作成が仮説実験授業の場合
よりずっと容易(多少の欠陥はあっても授業結果にあまり関係ない)なので、指導
要領準拠授業・授業ガイド準拠授業すなわちBタイプ授業を即時大幅に減らせる。
玉田式授業の新教材を何回か授業にかけて、その題材での生徒の考え方・発言
がわかってしまえば、教師の臨機応変の工夫は不要になり、玉田式授業
が実質的には「印刷物でなく教師発言をもとに進めるプログラム授業」に近くな
る。 玉田式授業の心理学的構造は仮説実験授業とほとんど同一だから、何回か
授業にかけて改良された玉田式授業教材プラス教師活動記録は教師発言や板書を
印刷すれば仮説実験授業教材に変換される。 直接仮説実験授業教材を作るより
何回か授業にかけて改良した玉田式授業教材からの変換のほうが遥かに容易であ
る。 つまり仮説実験授業ではあらかじめ(さまざまな誤りを含む)生徒の考え方
がわかっていなければ教材作成困難という問題がクリヤーできる。 逆方向の教
材変換は容易であるが、玉田式授業のほうが教師能力を要求されるので普及を考
えた場合その意味は少ないであろう。
中原式授業の心理学的構造と有用性
中原式授業とはやはり科教協の代表的名教師の一人だった中原正木氏の授業と
同じ心理学的構造の授業であり、前記論文では中原氏の当時の勤務校名からT授
業となっている。
一見すると「生徒全員を一枚の空飛ぶ絨毯に乗せて目的地まで運ぶ名人芸の授
業」という印象を受ける。
授業構造はつぎのようになっている。
1. 教材を極力スモールステップに分割し、理解容易とする。
2. 生徒から自然発生する誤解釈・誤仮説が間違いだヨと知らせる(気づかせる)
ステップを挿入し、生徒の誤仮説・誤解釈を実験前に極力消去。
3. だから実験前にほとんどの生徒が正しい仮説と現象予測に到達。
4. 実験をすると、「ワーッ」「畜生」「やったぜ」などの声のかかる仮説実験授業
とは異なり「ぼくもわかった」「わたしもわかった」めでたしめでたし、みな
ニコニコという事になる。
授業構造を分析せずに授業を見るといつのまにかほとんど全員の生徒が正しい実験結果
予測に達するように見えるから、全員を空飛ぶ絨毯に乗せて運ぶような印象が生ず
ると考えられる。
13種類のテストアンケート結果をみると科学的思考力テストや授業の面白さ評価は
他の2授業と差が見つからないが、「科学は理解容易か」「科学の将来の発展予想」
などの得点には大差がある。
中原式授業の長所は、すべての段階が大変わかりやすいため、「レベルが多少高
すぎる怖れあり」の場合でも採用できる(多少授業がお静かになるだけで致命的結
果にならない)事と、教師が教材構造に詳しく生徒から発生しやすい誤解釈、誤仮
説を知っている事は必要だが司会者・議長としての能力や頭の回転の速さは必要
ない事であろう。
欠点は中原氏自身が言われたように、この授業では常に全員また
は全員に近い生徒の意見が正しい事になってしまうので、付和雷同の習慣発生を
防止するため他の授業方法を併用しなければならないという事であろう。
指導要領題材を使ってAタイプの授業をしようとすれば指導要領・教科書に出て
くる法則を教え込みでなく生徒が仮説として発見するのであるから法則(仮説)を考
え出すのに必要な授業段階が多すぎて普通の仮説実験授業や玉田
式授業が採用困難となる事が少なくない。 その際にはレベル高すぎでも
仮説考案が容易であるために致命的失敗の少ない中原式授業が適しているであろ
う。 筆者は中原式授業をプログラム化したものをしばしば採用していた。 一見仮説実
験授業教材(授業書)のように見えるが、授業構造は中原式授業になっている教材
で、これなら仮説実験授業と同じく授業容易である。
中原式授業は玉田式授業と異なって教師の臨機応変の発言が存在しないから、
仮説実験授業形式の教材への変換は常に可能にして容易であり、教師発言・板書
を書き言葉に直して印刷するだけだ。 また欠点のある教材でも仮説実験授業のように
致命的結果になる事はなく、多少のブロークン授業になるだけである事は玉田式授業
と同様である。 自分で印象をいうのは変だが、ブロークン玉田式授業は無茶強引と
いう感じになり、ブロークン中原式授業は馬の鼻面をひっぱりまわすような感じになる。
指導要領準拠または指導要領妥協の授業1/坂本式授業
中間的な授業が存在し、思考力・面白さがBタイプとの中間になる。前記論文
でのCh授業が1例である。 ここでは提唱者の名を借りて坂本式授業と呼ぶ。
坂本氏は指導要領支持の立場である。
玉田氏授業に似て整然とした印象を与える氏の授業の構造は次のようである。
1. Bタイプに似た授業を行う。 すなわち「仮説プラス現象予測が大衆的に行
われる段階」のない授業を行う。 ただし実験解釈を教師がまとめず、生徒
から出る複数の解釈を教師が全員に確認させるというのがB授業と異なる。
つまり「実験で何がわかったかのまとめ」と称する押し付けをしない。
指導要領準拠教材の氏の授業で複数の生徒解釈が出る、という事は一般的な
指導要領準拠授業すなわちBタイプ授業でも生徒の目には複数実験解釈があるのが
普通という事であり、Bタイプの授業とは強引なまとめを生徒に押し付ける授業
だという事である。
2. 複数の実験解釈のうちどれが正しいかを見分ける対決実験を考えさせる。
3. その実験を行う。
つまり3.の段階ではAタイプの授業と同じく、実験をした直後に生徒が法則を
理解し、全体としてAタイプの授業と同じく教師の押し付けがないと
いう長所がある。 氏のように指導要領を支持するという前提なら最善の授業
方法なのではあるまいか。
欠点はAタイプの授業の授業と比較して1.段階の実験がプラスされるため、授
業時間を多く必要とする事であろう。そのため教え込み授業併用による時間節約
が必要になると推定され、それが前記3種のAタイプ授業と結果が異なる原因で
あろう。
指導要領準拠または指導要領妥協の授業2/小林氏の授業
前記論文ではもう一つ中間的結果の授業が存在する。 小林氏の授業は指導要
領準拠の授業であったが、玉田式授業、坂本式授業、(多分一部は押し付け授業)
の混合なのである。 授業に整然とした感じはあまりなく、教師と生徒の親しさ
が感じられた。
指導要領は授業書(仮説実験授業教材)や玉田氏教材、中原氏教材のように理詰め
で教える内容になっていない。だからすべての題材でAタイプの授業をしようとすると
理論水準を相当高くしないかぎり、仮説を生徒が考えるのが困難である。
だからAタイプの授業が採用容易な題材では玉田式授業をし、そうでない題材では
押し付け授業にするというのも一つの行き方であろう。 また採用できるかどうか
というギリギリの場合は玉田氏のやるような実験の視点絞りが難しく強引になる場合
もあると推定される。 生徒の顔を見て視点絞りをいい加減に切り上げ坂本式授業に
なっても良いというのも指導要領を前提とすれば最善である可能性のある方法であろう。
指導要領はAタイプ授業をするように作られていないからだ。
理科授業法での 唯物論と観念論
「実験をありのままに偏見なく見るべきだ」という考え方に立てば、仮説を持ち
実験結果を予測するのは、予断を持って観察を行う事であり、偏見にもとづく認識
をする事になる。
冗談ではない。 偏見のない人間、ものをありのままに見ることのできる人間は
存在しない。 問題はどのように偏見をコントロールして、偏見内容と独立した客観的な事実の把握に近づ
くかという方法論の問題である。 このあたりの議論はレーニンの「唯物論と経験批判論」に
詳しく何も付け加える必要はない。
「ありのままに見るべきだ」という主張は自分の主観・偏見を基準としてものを見るべきだ
という観念論であり、その認識論に従う授業では教師生徒がそれぞれの主観を基準として実験を見るから複数解釈となり最後は教師の
押し付けとなる。
指導要領準拠または指導要領妥協の授業/一部だけAタイプ授業を採用
授業の一部だけに仮説実験授業などAタイプの授業を採用した場合も小林氏の場合
と同様、中間的な結果になると考えてよかろう。
公立中学校ではAタイプ授業と指導要領との矛盾が問題になる。 扱う法則を生徒
に仮説として発見させ、実験結果を予測する授業では指導要領準拠の普通授業つ
まり解釈を押し付ける授業より授業時間が長くなりやすいからである。 半分程
度までにAタイプ授業を制限すれば、他を教え込みプラス実験の授業にする事に
よってこの矛盾は解決可能である。
どうせ実験結果の解釈を押し付けるなら、
実験結果発表と解釈についての形式的話し合いなどせずはじめから押し付ける
ほうが授業時間短縮となり、生徒のほうから見ればつまらなくてわかりにくい
授業・シラケル時間の我慢が短くなる。
実験結果からルールを引き出す時は結論を知っている優等生だけ活躍する
。また生徒の理解段階では複数解釈があり得るのに結論を押し付けるという
授業段階は、クラス目標や班目標を建前論の議論だけで決めるのと同じく、
大多数生徒にとり退屈でシラケル時間に間違いない。
もっといえば、どうせ押し付けなのだから教師実験を見せたあと同じ結果にならなければ
先生を呼べと指示するのが理想的である。 多数の教師の授業では生徒が間違い実験
をしている事が少なくないからだ。 ルール引き出しまで、生徒大多数には実験の目的が
はっきりしない(抽象的、視点ぼけ)のだから、間違い実験も当然多数発生する。
公立中学で8-9割Aタイプ授業をする場合の問題点
指導要領内容の8-9割をAタイプの授業にすると、扱う理論の数が増大し理論
レベルも高くなる(そうしないと実験結果の理論的予測ができない)ので、さまざ
まな工夫が必要になる。 授業書(仮説実験授業教材)の内容変更は好ましくない
が、理解が質量ともに低下し面白さも低下するのを承知で一部の内容を抜く・短
縮するとか、中原式授業の授業書形式変換授業の極端な多用が必要になってくる
(前記のように中原式授業は仮説実験授業か玉田式授業との併用が望ましいと思われる)。
それでも総合的に見た場合にはAタイプの授業割合が高いほうが有利かどうかと
いう判断になるが、他人作成の10種類以上(対立仮説のどれが正しいかの実験を
考える、実験結果を示し仮説を考える、一見常識と矛盾する実験結果に対する態
度…などの多種テスト)のテスト・アンケートで実測をしない限り、判断は難しい。
しかし指導要領準拠の押し付け授業が例外となり、「今日はつまらなくてわかり
にくい授業をするが、受験のためだから我慢してほしい」と言う事ができ、生徒
との関係がよくなるという理由で、この原理的困難授業が良いと思うがどうで
あろうか。 テスト得点の低い生徒が激減するのも良い点だ。本当に能力の低い
生徒(脳の病)は残るが関心がないためできない生徒がほとんどいなくなる。
上記のような矛盾承知の授業をする場合は、酒井式行事や無競争集団主義の生
活指導が行われている事が前提となる。 これらの指導は押し付けなしに生徒が
前進し、生徒に自信を与え積極性を養成する指導だから、Aタイプ授業との相性
が大変よく、教材の無茶短縮やかなり過激な理論レベル上昇に生徒が耐えられる
ようになると考えられる。
教科書の誤りの箇所に納得できないという生徒群が出現して指導要領・教科書
準拠授業の続行が困難になる例は、知る限りこれらの指導とAタイプ授業が大部
分という理科授業の組み合わせに限られている。 酒井式行事の指導や無競争集
団主義指導が生徒の自信や積極性を養成するという以外にこの現象は説明できな
いであろう。
良心的な教科書では指導要領の誤りを踏襲した箇所だけ5-6の誤りだが、60以上の
誤りのある教科書も存在した。 家永裁判で問題になった箇所には軍国主義宣伝に都
合悪い箇所もあるが、検定官が現代の研究を知らないための誤りもあり検定の学問的
水準が極めて低いことがわかる。 理科では19世紀ないし20世紀はじめの学問的水
準の説明と現代知識を妥協させようとした矛盾、一定の水準の教育段階では許容され
るべき不正確さ(正確さだけを追求すれば現代の水準の科学を小学校から教えろとい
う事になる)を避けようとして一部だけ特別正確にしたための矛盾、が多いように思
われる。
教育実験の類型と方法